きらら誕生秘話☆ こっそり教えちゃいます( *´艸`)

1967年冬。

きららは神奈川県厚木市に生まれ、市内の小・中・高校にて過ごし、20歳で結婚。

千葉県八街市に移り住みました。(現在はシングルです(^_-)-☆(笑))

 

3男1女の母です。(33歳歳・31歳・26歳☆三男は他界☆)

 

そして・・3人の孫っちも♡(#^^#)

 

長女は保育士4年生♪日々楽しみながら奮闘中☆

時々、宿題を持ち帰り、あたしもハサミで紙をチョキチョキ☆することも・・(^^♪

 

 最近はなかなか会えていませんが☆

みんなが集まると、とっても賑やかです(*´▽`*)♡

プライベートでは子育ても一段落して、ホッとしている毎日です♡

 

いつからか、お花の世界にも目覚め♬ 

資格取得したり。イベント出店。ワークショップ。など・・

フラワー・ワールドも楽しんでいます。

 

ご興味のある方は、ぜひお声がけください。

きららと、おしゃべりしながら、オンリーワンのお花作り🌻

体験してみませんか?

 

 

 

 

 

 小さいころから霊体験を数え切れないほど経験しました。

物心ついた頃から・・といってもいいでしょう。

木や植物、精霊(?)やお化け(?)ともお話が出来、日常茶飯事の出来事

だったので毎日がミラクル☆でした。

時々、驚かされたり、怖がらせる霊体もいましたが・・・(笑☆)

 

 でも。あの頃はまだ、今の時代ほど霊に関して理解されていなかった、と

私は思います。なので、視えてしまう私は、身内も含め、人からは『変な子』

『気持ち悪い子』と言われる事もしばしば・・。

挙句の果てには『言っちゃダメ!!』とも言われました。

幼い私は、自分の視聴感覚はみんなも同じだ、と思っていたので

とてもショックでした。悲しく・・涙浮かべる日もありました。

そして☆視えても段々、誰にも言えず、口をつぐんでしまうようになりました。

 

 ところが・・その後、発見したんです!!

ランドセルをしょった私が学校帰り、寄り道できる唯一の楽しみの場所☆

 

『私だけの秘密基地💚』

 

そこは・・・自宅の近くにあった公民館裏の・・お墓☆☆

時間があると家に帰るより先に立ち寄りました。

だってそこに足を踏み入れると、みんなが「おかえり~♬」「今日は学校楽しかったかい?」と話しかけてくれるんです。

それは、そのお墓に入っているおばあちゃん・おじいちゃん。

(きららとは無関係の)み~んなが温かく迎え入れてくれました。

時にはランドセルを広げながらテストを見せて「100点とれたの♪」と話して

褒めてもらったり。とっても居心地のいいもので、日が暮れるまで、

そこでおしゃべりをしながら過ごしたことを今でも鮮明に覚えています。

 

あれから40年がたち。今では団地が立ち、厚木に帰った時に何度も探しましたが

もうあのお墓は跡形もありませんが・・☆

 

追伸・・☆

上記↑の『秘密基地』ですが。5年前に初めての小学校の同窓会があり。

出席して懐かしい面々と会話して(40年ぶりに(^-^;)

一人だけ秘密基地のお墓を覚えていた人がいたんです。

同級生の小池君☆話が盛り上がり、うれしかった~☆ありがとう(^_-)-☆

そして続きです。

またまた小池君が見つけてきてくれました。

『秘密基地』だったお墓がH29.10月に見つかって写真を送ってくれました。

昔よりきれいに整備されており☆

お礼の気持ちを込めて、毎月寄って、手を合わせてきています☆

 

 そして20歳で結婚☆厚木から八街に住み始めました☆

市営団地に10年間暮らしました。

そこではまた、『お化けが視える』毎日でした。

元々、その団地は昔、兵隊さんの兵舎だったそうで☆

 

スーパーに買い物に行く際、自転車で通る墓地通りで(近道なので)、

いつも声をかけてくる男の人の墓石が・・☆

「のどが乾いた~。水をくれ~」と。その人は、戦没者?兵隊さん?のお墓でした。

なので、そんな時は急いで家に戻ってペットボトルに水を入れて、

お水をあげました。周りの人も「私も」「わしも」と言うのでみんなにおすそ分け♪

家でも外でも、どこでも。毎日、霊体験。視える。聞こえる。の連続でした(^-^;

 

 でも・・新しい環境☆新しい友だち☆人間関係☆ 

或る意味、ゼロからのスタートだったので

この中で、どれだけの人が私という人間を理解してくれるのだろうか?

また、否定・批判されるのだろうか?

好奇の目にさらされてしまうのだろうか?・・と不安でもありました。

 

 ところが・・そこで出逢った友達=ママ友たちは、み~んな良い人ばかり☆

私の『視える』事に理解を示してくれ、

批判・否定する人なんて1人もいませんでした。

私はつくづく恵まれているなぁ・・・と感じました(*^-^*)

毎日、「また視えちゃった!」と叫ぶ私の話を飽きもせず聞いてくれて☆

(精神病院へ行った方がいいかも。。こんなに視えるなんて病気かも★)と

悩む私をみんなが支えてくれました。

今のきららが在るのも、みんなのおかげ♡♡と言っても決して過言ではありません☆

今でもその人たちは、きららの❝宝物❞です(*´▽`*)

(その後、子どもたちの学校本部役員などを経験して出逢った今でもつながりのある

お友達たち♡色々な面で精神的にも支えていただき☆きららは幸せ者だな~💛と

痛感しております(#^.^#)~感謝♡)

 

 そして・・『お化けが視える』きららの変貌を遂げる悲しい出来事が・・☆☆

平成5年。私26歳の6月。

三男の雅人が生まれて2か月目で突然死にて他界してしまいました。

あまりにも突然すぎて・・それはそれは悲しみに打ちひしがれて・・

泣いてばかりの毎日でした・・😢涙。。

そんな私に何度か雅人は夢の中に出てきてくれました☆

あんまり悲しみに暮れているある日の夢。

天から「そんなに逢いたいのなら1度だけ見せてあげる」と女の人の声がして。。

スルスル・・と蜘蛛の糸?が下りてきて、その糸を辿り、上に登っていきました。

その時、下を見ると自分と家族の寝顔を見たので幽体離脱をしたのだと思います。

頂上に着き。向こうの世界を見てきました☆

雅人は・・私の幼なじみのおばあちゃんに抱かれていました☆(1年前に他界☆)

なんかホッ・・として、また蜘蛛の糸を辿り下りてきて自分自身の体に戻りました☆

 

 ある日のこと。

また、夢の中に雅人が出てきました。

泣いてばかりいる私に「僕が味方になるからね」「僕がお母さんを支えるからね」と

語りかけてくれたのです。

その時は、全く意味が分からず(ただの夢かな?)と思いながら眠りにつきました☆

次の日の朝。ビックリ!!

「おはよ~」と起きてきた子供たちの周りに光や丸い顔がたくさん視え・・

その日を境に❝お化け❞ではないモノが人の周りに色や形や顔や光となって

視えるようになりました。

月日と共に自分なりに解釈していき、答えを出してきました。

 雅人が今のきららの霊能者として生きるカギをくれたのかもしれません(^-^

 

その後もたくさんの霊体験や亡くなった方からの伝言・守ってくれている守護の方との対話を重ねながら。きららは成長していったように思われます☆

 

 そして・・☆今の現在の❝きらら❞が存在するわけです。

きっと☆雅人や私を守る神さまたちが『人のために生きること』『人を救うこと』

『人を幸せに導くこと』などを使命&宿命として私に与えてくれたのではないか。

きららはそう感じながら、毎日の日々を過ごしております☆

 

長くなりましたが☆

以上が、❝きらら誕生秘話❞です。